地域おこし協力隊の中野です。
観光セミナーボランティアガイド講座の内、12月10日(木)に開催された講義・現地研修「カリスマガイドに学ぶ感動と共感ガイド」に参加しました!
講師は鹿児島で、まちづくり関連の業務をされている方が来られました。
講義では、まちづくりをしていく上での心構えや、ガイドをする際の注意点(態度・身だしなみ・ポイント)、鹿児島での活動事例紹介、明治維新関連やジオパーク関連の活動紹介を話されました。広い視野をお持ちで、さまざまな取り組みをされており、その事例として、明治維新150年に際して劇団をつくったり、鹿児島のまち歩きで、クリスマスイヴに神社巡り(巡った後クリスマスケーキを提供)を企画するなど、とてもユニークなイベントを企画されていて、話を聞いているとそのイベント・ツアーに参加したくなるような気持ちになりました。
講義後は二班に別れ、参加者の方(ガイド経験者)お二人にそれぞれの班で萩城下町をガイドしていただきました。私がいた班のガイドの方は、歴史の話だけではなく、その地域の最近の話題や出来事、ちょっとしたその人物にまつわる話も交えながら案内されていたので、話が頭に入りやすかったです。
広い知識や、視野を持つことで地域でできることのさまざまな可能性が見えてくるのだと感じた講座でした!
須佐地域交流イベント「幕末・明治維新と日本の近代化を支えた須佐の歴史探訪ツアー」が開催されました!
地域おこし協力隊員の中野です。
11月28日(土)に須佐地域交流イベント「幕末・明治維新と日本の近代化を支えた須佐の歴史探訪ツアー」が開催されました!
須佐地域は広範囲でおたからは他にも多くありますが、今回は須佐湾のあたり一帯を中心に回りました!
はじめに須佐歴史民俗資料館「みこと館」で開会をした後、まず館内を見学!
本館のみこと館では主に歴史や産業のもの、益田家の史料や須佐焼など展示され、益田館には使われていた農具や漁具、その他日常で昔使われていた道具など季節ごとの風物や須佐が担ってきた役割などのストーリーをもとに展示されていました。平成25年7月28日に発生した萩市東部集中豪雨災害の被害を受けた資料も整理、復元され展示されていました。
その後益田家にゆかりのある地、笠松神社、益田家墓所、松崎八幡宮、大薀寺をまわりました。その中でも目を引いたのが大薀寺の庭園です。室町時代の梵鐘や雪舟の弟子が造ったとされていて、写真を見てもわかる通り、とても立派で美しい庭園でした。もう一方の写真は松崎八幡宮の紅葉です。
ひと段落したところで、昼食会場「須佐湾エコロジーキャンプ場」へ向かいました。
みことイカやよもぎの揚げ物、ひじき、漬物、イワシ、天草の寒天、れんこん、いもなど須佐でとれた食材が使われていて、新鮮で美味しかったです!食後のゆず茶で冷えた身体が温まりました
久原波止場の前を通り須佐ホルンフェルス遠望。そして、高山へ。
高山の山頂付近には磁石石があり、参加者の皆さんがコンパスをもって岩に近づいて磁石によって指針がゆれるかどうか試して楽しんでいました。そして、山頂の展望台からは須佐湾など360度一望でき、空は曇っていましたが雲の隙間から光がさし須佐湾を照らしている情景がなんとも幻想的でした。
須佐は今回初めて回りましたが、ホルンフェルス、高山など自然が作り出したすばらしい景色や、歴史民俗資料館「みこと館」・「益田館」、大薀寺など地元の方が守ってきた貴重なおたからのような見所がたくさんある地域だと感じました。
また機会があれば他のおたからも見て回りたいです!
田万川・現地調査part2
地域おこし協力隊員の中野です。
先日、マップ作成のため再度田万川へ調査にいきました!
このあたりは釣りをしに訪れる方が多くいらっしゃいます。江戸時代、この地に九州筑前鐘ヶ崎(福岡県玄海町)から毎年海人がやってきて、主にあわびをとり、寒くなる頃には九州に帰っていたそうです。全部で13基あり、墓が西の方向(故郷の鐘ヶ崎)を向いているそうです。数家族でお互いに助け合い、人里離れたこの地でたくましく生きていられたのですね。
桜並木(時期的に咲いてはいませんが…)を通り、村の水田開発に大きく貢献し業績をたたえ築かれた六右衛門の顕彰碑、つい先日秋祭りが行われていた勝馬田八幡宮、木喰五行上人作の仏像「木像釈迦如来座」と一通り見て回りました。
こちらの仏像は地元の方が管理されていて、管理や保護をする際の苦労話や、地元の伝統的な舞である神楽舞についての話を聞くことができました。
資料にのっていない、地元の方の生の声を聞くことができ、興味深い調査となりました!
それと、ここ田万川で近々イベントがあります!
地域おたからワークショップが開催されました!
11月2日(月)に地域おたからワークショップが開催されました!
私、中野も地域おこし協力隊員として参加したので、その様子をご報告します。
はじめに港町として栄えた「浜崎地区」を浜崎しっちょる会のガイドさんの案内の元、散策しました。
藩主の御座船や軍船の格納のために造られた「御船倉」、商家の伝統的な建物や、屋敷などが並んでおり、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。建物内にも地元のガイドの方がいて、地域住民全体で協力して取り組まれていました。散策する中で浜崎「たつち」ちりめん加工工場を見学し、試食もさせていただきました!
その後、佐々並、明木地区、京都のまちづくり団体の方々の活動紹介、参加者同士でのグループ討議をし、意見交換をしました。地域活性に向けていろいろな考え、視点から一つの物事を見て行動していくことが重要なのだと感じました。今後の参考、勉強になる研修でした!
地域おたからワークショップに関する内容をfacebookでも他の協力隊員の方が紹介されています。よければご覧になってください。→萩市地域おこし協力隊facebookページ
地域おこし協力隊員・中野
維新の里歩こう会イベントが開催されました!
地域おこし協力隊員の中野です。
先日10月31日(土)に維新の里歩こう会イベントに参加しました!
毎年この時期に開催されているイベントで、今年も天気に恵まれた中開催されました!
萩観光ガイド協会の方達の案内のもと、旧松本村地区、松陰先生のふるさとをめぐりました。
萩観光ガイド協会の方達の案内のもと、旧松本村地区、松陰先生のふるさとをめぐりました。
松陰神社からスタートし、まずは郡司鋳造所遺構広場へ。
ここには江戸時代、鍋など生活用品、寺院の梵鐘から長大な洋式大砲にいたるまで、多様な銅・鉄製品を造る鋳造所跡があり、在来技術である「こしき炉」を利用した日本でも唯一の大砲鋳造遺構の復元されたものが残っています。
町並みや風景を楽しみながら月見川沿いを通り、東光寺へ。立派な赤い門が目印で、元禄4年(1691)三代藩主毛利吉就によって城下を見下ろせる場所に創設されたお寺です。
東光寺をあとにし、玉木文之進旧宅へ。松下村塾の創始者であり叔父の玉木文之進から松陰先生はここで厳しい教育を受けていました。
重要文化財に指定されている迎賓館などを設計した近代建築家の家「片山東熊別宅」跡を通り、伊藤博文別宅に向かいました。
東京から移築された別邸で、近代和風なのが特徴です。ここで維新の里づくり会員の方から伊藤博文の生い立ちについての講演がありました。学生の頃では教わったことのない内容なので、伊藤博文という人物について深く知ることができた良い機会でした。
最後は松陰神社に戻り閉会式をして解散しました。
まち歩きをしながら歴史的背景やそこにいた人物のことも知ることができたので、自然と江戸時代の風景が思い浮かび、まるでタイムスリップをしたかのような…そんな場所でした。皆さんもぜひ一度立ち寄ってみられてはいかがですか?歩かれる際にはこちらのマップを参考にどうぞ!
萩まちあるきマップ〈旧松本村地区・維新の里 史跡案内図(入門編)~松陰先生のふるさと~〉PDF
秋の田万川ツアー~海彦・里彦・山彦・三彦を巡る旅路~に参加しました!
地域おこし協力隊員の中野です
先日に秋の田万川ツアー~海彦・里彦・山彦・三彦を巡る旅路~に参加しました。
まずは、田万川総合事務所で開会式及び挨拶。
申し込みが多く、一日で定員に達したくらい関心の高いツアーのようで・・・
ツアーが楽しみです!
西堂寺から、伊能忠敬や吉田松陰も宿泊したといわれる豊田酒鋪を通り、富樫文周の墓へ。
お墓はかなり急な狭い坂道の頂上にありました。
富樫文周は松下村塾の門下生で、その後江崎で医学を学んだ後に江崎に移り住みました。お金がない人は無償で診察をするような、地域にねざしたお医者さんだったみたいです。
松陰先生の至誠の精神がここでも活かされていたのですね。
そこから少し歩いたところにある酒樽墓へ。
酒樽の形をした珍しいお墓で、この墓は「五郎太」という酒好きだった人のものです。
墓の周りを反時計回りに三周して、タバコを吸うまねをしながら「三遍回ってたばこにしよ」と言うと願いが叶うとの伝承があります。参加者の方達がお墓の周りを楽しそうに回っていて、微笑ましい光景でした。
この後、バス・車で南側の小川という地区にある平山台に移動。ちょうどこの日は平山台まつりも開催されていて、新鮮な果物が売られていました。
昼食は特製フルーツカレーと地元野菜たっ埔里の「みのり汁」でした。食べる前はフルーツとカレーって合うのかな?と思いましたが、食べてみると美味しい!フルーツのほどよい甘みとカレーのピリッとした辛さがマッチしていました!
昼食を食べ終わった後は近くの果樹園を散策!
美味しそうなりんごや柿がなっていました。最近では若い方も農業する方が多くいらっしゃいますが、ここにも若くして頑張っている方がいました!
果物を堪能した後は、平山台のおたからを見てまわりました。
その一つである龍鱗郷。萩では火山の噴火や溶岩の流れによって生まれためずらしい地質が各所にあり、
ここでも溶岩が急に冷えて固まったできた六角形の柱の形に分かれた岩石群:柱状節理があります。生で見ると迫力があります。
小川のコミュニティセンター「みのり」に立ち寄り、最後に田万川総合事務所で解散しました。
お土産になしとりんごをいただきました!参加者の皆さんもお土産をたくさん買って満足そうな雰囲気でした。
海と山とともに生きる町・田万川ならではのツアーで、スタッフというかたちで参加しましたが、楽しむことができました!
先日に秋の田万川ツアー~海彦・里彦・山彦・三彦を巡る旅路~に参加しました。
まずは、田万川総合事務所で開会式及び挨拶。
申し込みが多く、一日で定員に達したくらい関心の高いツアーのようで・・・
ツアーが楽しみです!
田万川総合事務所からバス・車で移動し、大漁大橋から眺めの良い港の風景を楽しみつつ西堂寺へ。西堂寺にはお菊伝説という悲恋話が伝わっていて、そのお菊の化身といわれる仏像があります。そこでは、案内いただいた地元の方がお菊伝説からなる江崎の盆踊りの歌を歌ってくださいました。たいへん良い歌声で皆さん聴き入っていました。
お墓はかなり急な狭い坂道の頂上にありました。
富樫文周は松下村塾の門下生で、その後江崎で医学を学んだ後に江崎に移り住みました。お金がない人は無償で診察をするような、地域にねざしたお医者さんだったみたいです。
松陰先生の至誠の精神がここでも活かされていたのですね。
そこから少し歩いたところにある酒樽墓へ。
酒樽の形をした珍しいお墓で、この墓は「五郎太」という酒好きだった人のものです。
墓の周りを反時計回りに三周して、タバコを吸うまねをしながら「三遍回ってたばこにしよ」と言うと願いが叶うとの伝承があります。参加者の方達がお墓の周りを楽しそうに回っていて、微笑ましい光景でした。
この後、バス・車で南側の小川という地区にある平山台に移動。ちょうどこの日は平山台まつりも開催されていて、新鮮な果物が売られていました。
昼食を食べ終わった後は近くの果樹園を散策!
美味しそうなりんごや柿がなっていました。最近では若い方も農業する方が多くいらっしゃいますが、ここにも若くして頑張っている方がいました!
果物を堪能した後は、平山台のおたからを見てまわりました。
その一つである龍鱗郷。萩では火山の噴火や溶岩の流れによって生まれためずらしい地質が各所にあり、
ここでも溶岩が急に冷えて固まったできた六角形の柱の形に分かれた岩石群:柱状節理があります。生で見ると迫力があります。
小川のコミュニティセンター「みのり」に立ち寄り、最後に田万川総合事務所で解散しました。
お土産になしとりんごをいただきました!参加者の皆さんもお土産をたくさん買って満足そうな雰囲気でした。
海と山とともに生きる町・田万川ならではのツアーで、スタッフというかたちで参加しましたが、楽しむことができました!
むつみのまち歩きに参加しました!
地域おこし協力隊員の中野です。
先週、むつみのまち歩きに参加させていただきました!
先週、むつみのまち歩きに参加させていただきました!
スタートはむつみ総合事務所で歩いてすぐの場所に、山口県内の建築年代が判明している役場の中では最古といわれる「むつみ村役場旧庁舎」と、その役場の資料保存庫として使われていた「むつみ村役場土蔵」へ行きました。写真は「むつみ村役場土蔵」です。そこから歩いて10分程度で「吉部八幡宮」に到着!
そこには、樹齢約500年の3本の巨大なスギの木が!一社地に巨木が3本あることは珍しく、見上げるとのけぞり返るくらいでかく、迫力がありました。
その後、猫寺と千体地蔵で有名な「雲林寺」へ。県外や外国からも多くの観光客が訪れるほど人気のお寺です。入り口では猫の像がお出迎え…と思ったら、そこら中に猫の像が!話を聞くと、以前よりも猫の像が増えているようで…驚きました。
その時、むつみの部会の方が紙芝居をしてくださいました。熊野神社に祀ってあるご神体(ごんげん様)についての話で、ストーリーがわかりやすく、むつみを訪れるのが初の私でも聞いていて面白かったです。道具からイラストまでご自身とご家族の方で作られたそうで・・・すごいですね。
それから、県道を北の方に歩いていき寺や古墳等を見て回りました。むつみを歩いたのは初めてでしたが、その地域の特色や歴史的背景を楽しむことができ充実した一日でした!
・下記からむつみ地区のおたからの一部をピックアップして紹介させていただきます。
むつみ総合事務所のすぐ近くにあるむつみ村役場旧庁舎。明治28年に吉部村役場として建設されましたが、明治30年に高俣村と合併しむつみ村となり、90年以上にわたりむつみ村役場本庁舎として使用されました。県内の建築年代が判明している役場の中では最古の建物で、国の登録有形文化財になっています。 |
地域おこし協力隊員のfacebookページでも紹介させていただきました!ぜひご覧になってください→萩市地域おこし協力隊員facebookページ
田万川の現地調査に行ってきました
地域おこし協力隊として10月からまちじゅう博物館に推進課に配属された隊員の中野です。10月7日に秋の田万川ツアーに向けての現地調査をしてきました。そこでいくつかのスポットを下見したのでその一部を紹介させていただきます。
まずは、平山台です。当日はここで昼食をとるのですが、果樹園には立派なりんごがなっていました。なんと8種類のりんごがなっているそうです。間近でりんごの木を見るのは初めてですが、一本の木にたくさんのりんごがなっていたので驚きました。
次に星の城(平山星ノ城)です。星の城は小川と弥富(須佐)の境にある中世の山城の跡です。その城跡がある竹城山は周辺でひときわ目立つ山なので遠くからでもわかりました。星の城は堅固でなかなか落ちなかった城のようですが、なんと不意打ちをうけて落城したお城だそうです。付近にはその時の城主のものと伝わるお墓が今も残っています。
まずは、平山台です。当日はここで昼食をとるのですが、果樹園には立派なりんごがなっていました。なんと8種類のりんごがなっているそうです。間近でりんごの木を見るのは初めてですが、一本の木にたくさんのりんごがなっていたので驚きました。
次に星の城(平山星ノ城)です。星の城は小川と弥富(須佐)の境にある中世の山城の跡です。その城跡がある竹城山は周辺でひときわ目立つ山なので遠くからでもわかりました。星の城は堅固でなかなか落ちなかった城のようですが、なんと不意打ちをうけて落城したお城だそうです。付近にはその時の城主のものと伝わるお墓が今も残っています。
第五回 平山台まつりが10月17日に開催されます。
・日時 平成27年10月17日(土) 10時~14時
・場所 平山台駐車場(雨天時:小川果樹選果場)
・お問い合わせ先 08387-4-0311(JAあぶらんど萩小川支所)
越ヶ浜・笠山地区地域交流イベント 「漁業集落・越ヶ浜の暮らしの歴史と笠山の自然を巡る」を開催しました!
9月12日、越ヶ浜・笠山地区で、地域交流イベントを開催しました!
「漁業集落・越ヶ浜の暮らしの歴史と笠山の自然を巡る」と題して、地元の方のご案内で越ヶ浜の漁業集落ならではの町並みと、ジオサイトである明神池や風穴、笠山山頂を巡りました。
参加者のみなさんは、普段見ることのできないディープな越ヶ浜を楽しんでいました。
参加者のみなさんは、普段見ることのできないディープな越ヶ浜を楽しんでいました。
港からスタート。漁師さんから漁や船のお話を聞きます。 |
漁に使うえさを準備する様子を見学。大量のイカを手際よく切っていきます。 |
漁で使う網を準備する様子を見学。ひとつのしかけに100本近くの釣り針がついています。 |
漁業集落ならではのせまい路地を歩きます。 |
軒先同士がぶつかりそうな狭い路地は迷路のようです。 |
メインストリートを歩きます。赤いベンガラ塗りの格子が越ヶ浜のかつての家屋の姿を伝えています。 |
お昼には、越ヶ浜のおかあさんたちが腕をふるって、地元の素材と調理法にこだわった「おおごちそう」を作ってくれました。 |
午後は笠山の自然を巡ります。海がとりのこされてできた明神池。 |
風穴を見学。風穴のまわり一帯は、周囲よりも気温が低く、ひんやりした空気がたちこめていました。 |
笠山の火口。マグマのしぶき(スコリア)が降り積もってできた赤い地層を見ることができます。 |
笠山の展望台から日本海と萩の島々を眺めました。萩六島と呼ばれる平たい島々(相島、羽島、尾島、櫃島、肥島、大島)は、阿武火山群を構成する安山岩の溶岩台地で、世界でもほとんどみられない貴重な地質景観です。 |
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