椿地区地域交流イベント 「萩の玄関口・椿を巡る」を開催しました! 

12月3日(土)、椿地区地域交流イベント「萩の玄関口・椿をめぐる」を開催しました。

ぽかぽかとした小春日和にめぐまれた青空のもと、
約30人の参加者のみなさんと共に、3.5㎞の道のりを歩きました。


椿地区は、萩藩主が江戸へ参勤交代で出立する際、安全祈願に立ち寄った金谷神社や、
萩城下への出入りをチェックした大木戸跡、大正時代の萩駅舎などがあり、
「萩の玄関口」ともいえる地区です。

今回のまち歩きでは、萩の玄関口としての歴史とともに、
阿武川・大屋川の河口に位置する土地として、水と戦い・共存してきた証や
三角州の周囲ならではの山ぎわの風景を巡りました。



まずは、金谷神社(金谷天満宮)からスタート。

特別に本殿の中に上がらせてもらい、この日のまち歩きの安全祈願をしました。

ガイド役は、椿・金谷地区で生まれ育ち、住まい続けている山中さんです。
これまで、椿地区の歴史の記録や整理を独自に進めてこられ、
金谷神社の総代も務めている方なので、ここでしか聞けないお話もいっぱいでした。



次は、金谷神社の入り口にある大木戸跡へ。

萩城下町の表玄関ともいえる大木戸があった場所です。
原則として、日暮れから夜明けまでは、
治安維持のため城下への出入りを差し止めていたそうです。

そのため、日暮れ以降に到着した人たちは、
手前にある大屋地区のあたりに泊まっていたのだとか。


それから、椿地区の町並みを通って、萩駅へ。

萩駅から北へまっすぐと伸びる道路は、
かつては萩城下のメインロードとして町家が連なっていました。

道路拡幅による軒切りなどで、町並みは変化し、多くの建物は更新していますが、
かつて商人宿だった建物など、町家が連なっていた町並みの名残を見ることができます。


萩駅舎は大正14 年(1925)に建築されたものです。
開業当時の姿をよく残し、90年余りを経た現在も駅舎として使用されています。

今年10 月には、駅前に鉄道の父 井上勝の銅像が建てられました。




萩駅の跨線橋を渡って、椿八幡宮へと向かいます。

跨線橋は、山陰線の線路や三角州を囲む山々の麓に広がる椿地区を見渡すことができる、おすすめのビューポイントです。



萩駅から南へ伸びる道は、椿八幡宮への参道です。

ここからは、椿八幡宮の近くにお住まいの藤田さんにガイド役をつとめていただきました。

萩駅が整備されるまでは、
一の鳥居が現在の萩駅の場所に置かれていたそうです。

現在、鳥居は駅の南方へ移設されていますが、
石造りの鳥居には、享保年間に造られたことが刻まれています。

この鳥居の下が今は公道となり、車が行き来している様子は、
ちょっと不思議な光景です。


参道から少し外れた場所にあるのが、農業用水のサイフォンです。

山から下りてくる小川と阿武川から引き込んだ農業用水が交差するこの場所は、
川と用水路の高さが違うため、このままでは川よりも向こうに水が通らなくなってしまいます。

そこで、田んぼに水をはる季節になると、
用水路を堰き止めて、川の下を通して向こう側の水路へと水を送ります。

このとき、水の入口が出口より高い場所にあれば水が流れる仕組み:サイフォンの原理を利用しているのです。

椿地区で農業を営む方は、農地に水を行きわたらせるためのこのしくみを改めて認識したとき、先人たちの工夫にとても感動をした、と言っていました。




再び参道に戻り、椿八幡宮へと進みます。
現在は、住宅地の間の道路となり、その先に二の鳥居がありますが、

かつては、この鳥居はもっと手前にあり、
現在の道路部分には馬場が広がっていた様子が、古い絵図に描かれています。

馬場では、流鏑馬(やぶさめ)や花馬の祭事も行われていたそうです。

付近の道路脇には、「御旅所(おたびしょ)」と呼ばれる御輿を載せるための石の台が
移設されながらも残されています。


椿八幡宮は、椿地区・椿東地区(三角州の東外側)・川上地区(阿武川の上流)の
氏神様として大事にされてきた神社です。

鎌倉時代、鶴岡八幡宮を川上に勧請したのがはじまりとされ、
椿・沖原の木部地区を経て、もともと祇園社のあった現在の地に移されたといわれています。

江戸時代には毛利氏の庇護を受け、万治2 年(1659)に本殿などが整備され、
現在の形になりました。

本殿にも上がらせてもらい、絵馬などを見学しました。


この日は境内のイチョウの木が紅葉まっさかりで、まるで黄色のじゅうたんのようでした。


境内の奥は、見晴らしのよい高台になっていました。

境内を通り抜け、旧道を通って大昭院へと向かいます。

水田沿いの道を歩いていると、ちょうど山陰線の列車が!


三角の形が特徴的な面影山の麓にある大照院を目指します。


いよいよ大照院に到着です。

大照院は、萩藩初代藩主毛利秀就(ひでなり)の菩提寺として、もともと別の寺院があった場所に、
江戸時代初期の明暦2年(1656)に造営された臨済宗南禅寺派の寺院です。

江戸時代中期の火災後に再建された鐘楼門・本堂・書院・庫裏・経蔵が、
国の重要文化財に指定されています。

毛利家の菩提寺としては椿東の東光寺と対になっていて、
大照院には初代と2代から12 代までの偶数代の藩主と夫人の墓があります。


ここまで歩き通しでお疲れの参加者のみなさんのために、
特別に大照院の座敷に上げていただきました。

ご住職の清水さんから、大照院のことについて教えてもらい、
お茶とお菓子で休憩をとりました。

お菓子は椿地区にある萩ファーマーズマーケット特製の
おはぎとおまんじゅうのセットです。





大照院の見学を終えたら、川沿いの道を通って、スタート地点に戻ります。

このあたりは小松江と呼ばれていて、
夕暮れ時、大照院の鐘の音が響く小松江の風景が「小松江の晩鐘」として、
江戸時代にお殿様がお気に入りの風景を描かせた「萩八景」のひとつに描かれています。




最後は、萩ファーマーズマーケットの前で解散です。

金谷神社のおむかいにある萩ファーマーズマーケットは、
椿地区をはじめ、萩の新鮮な野菜が集まる新しいスポット。

参加者の皆さんの多くが終了後にマーケットに立ち寄り、お買い物を楽しまれていました。



約3時間半のまちあるきを通じて、「萩の玄関口・椿」、「水と戦い・共生してきた椿」の魅力を再発見していただけたのではないかと思います。

参加者のみなさん、椿地区のみなさん、ありがとうございました。

「萩の魅力再発見ツアー おもしろ田町商店街てくてく見て歩き」を開催しました。

11月27日、萩ものしり博士検定を開催しました。

午後には、萩ものしり博士検定受検者特典ツアーとして、「萩の魅力再発見ツアー 田町商店街てくてく見て歩き」を開催し、
約30名の受検者の皆さんが参加されました。



田町は、お殿様が通った「御成道」に沿って、商店が立ち並ぶ商店街。
藩政時代の町人町の中心的な場所でもあり、城下町ならではの町割が残っています。

現在はアーケードがかかり、商店の建物の多くが更新されている一方で、
表は現代風でも、奥は昔の町家が残されているお店が点在しています。

萩の語り部ガイドさんと一緒に歩いて、その歴史の痕跡探しを体験したり
現在の田町でおすすめのプチグルメを味わったりして、
田町商店街の魅力を再発見していただこうというツアーを企画しました。

参加された皆さんは、ものしり博士に挑戦されるくらいの方々らしく、
ガイドさんの説明を興味深く聞いたり、熱心に質問される姿も見られました。



まずは、史跡旧萩藩校明倫館からスタート。


新堀川沿いを歩いて、田町を目指します。

新堀川は、江戸時代中期、水運と治水のために作られた人口河川。
当時はもっと川幅が広く、川船が行き来していたそうです。



萩城から続く御成道



太田洋行。モダンな吊り天井のある陶器屋さんです。
戦前は呉服屋として繁盛していたそうです。



tazz.(タズ)。古い町家をオーナー自らが改修したアートショップ。
奥行の深い町家ならではの中庭があります。





津田薬局。人見梁や漆喰塗りの壁がある創業明治十年の薬屋さんです。
角地に建つため、屋根の飾りなど両方の通りからの見栄えを意識した造りになっています。


ギャラリー&喫茶 宙(そら)。江戸時代から続く町家を活用したお店です。
2階のギャラリーにある江戸時代の大きな梁が特徴的。
ここから太田洋行の手前までが1軒の町家でした。


田町eっぷく堂。なつかしい駄菓子がいっぱい!昭和気分を味わえます。



柏木薬局。ネズミの看板が目印の漢方薬充実の百年つづく薬屋さん。
お店の中には、大正・昭和初期の豪華な薬の看板があります。




岩崎酒造。伝統ある造り酒屋さん。
蔵元自ら杜氏をつとめ、丹精込めて「長陽福娘」などの酒を造っています。

この日は特別に蔵の中を見学させてもらい、2種類のお酒と「仕込み水」の試飲しました。

お酒を造る上でお米とともにとても大事な仕込み水は、この酒蔵の一角にある井戸から汲み上げられているそうです。

さらに、岩崎酒造の酒粕を使った酒粕パンの試食も。

酒粕パンは、ご近所のパン屋「yuQuri(ゆくり)」さん特製のもので、
夏みかんピールとくるみとレーズンを、それぞれ酒粕をつかったクリームに練り込んであり、ほのかに香る酒粕の風味とドライフルーツの甘みや酸味とマッチしていました。





荒川商店。やきぬき蒲鉾はもちろん、萩名物「魚ロッケ」、ごぼう巻もおいしいかまぼこ屋さんです。
ツアー参加者限定で、かまぼこと魚ロッケの試食をご用意。
かまぼこは、「厚みによって味が違う」、「11mmくらいが一番おいしい」といううわさを元に、ふたつの厚みを用意して、味くらべをしていただきました。



唐樋札場跡。江戸時代の大きな掲示板「高札場」の跡が発掘され、復元されています。

唐樋は、萩往還・赤間関街道・石州街道の出発点であり、多くの人々が行きかう交通の要衝でした。

そのため、「高札場(こうさつば)」が設けられ、藩主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目をひくように掲げていたそうです。


今回のツアーはここで終了です。





この日は、「萩産業フェスタ」(萩商工会議所青年部主催)も開催されていて、アーケード内はとってもにぎやかでした。
かつての田町にも、こうやって多くの人や物が集まってきて、にぎわっていたのでしょうね。




ツアーを通じて、一見すると現代の姿をした商店街の界隈にも
様々な歴史の痕跡が隠されていることを知っていただくとともに、

商店街ならではのプチグルメも楽しんでいただき、

田町商店街の魅力を再発見することができたのではないでしょうか。

参加された皆さん、ありがとうございました。